休職最終日&復職準備1日目: じゃあ、何がしたい

明日から職場復帰する。1ヶ月という休職期間は最初こそ長く感じたが、今思えばあっという間だった。初日は体も心もボロボロで1日のほとんどを寝て過ごしていたが、今日は午後に来週分の作り置きをせっせと作れるくらいには元気になった。もう働きたくない休みたいと思っていたが、今は明日からまた少し頑張ってみようかなという気持ちにもなっている。休むという行為は本当に大事なのだということをつくづく実感した1ヶ月だった。

そして、休職した初日にこの日記をつけ始め、時々サボったりしながらついに最終日までたどり着いた。最初に比べたら文量もかなり減ったが、まずは記録をつけ続けられた自分を褒めたいと思う。

そんなこの休職日記の中で、初日に私は自分にある課題を出していた。それはこの休職期間の中で「じゃあ、何がしたい?」という問いに答えを見つけるということだ。

休職するほど心身を病むまで、私は今の仕事が自分にとても向いており、なおかつ自分は優秀だと信じていた。そう信じこもうとしていた。

しかし、段々とその理想と現実のギャップが開くにつれ、私は自分の無力さや惨めさにばかり目がいき、周りと自分を比較し、自分が不本意に置かれている今の環境を嘆いた。自分がうまくいかないのはこの環境のせいだ、自分がうまくいかないのは自分に合った仕事がないからだ、本当はもっとできるのにと、まだ実力を表に出せていないだけだと、自分は悪くないと思っていた。

無力な自分を見続けるのはしんどい。自分の期待に応えられない自分と向き合い続けるのは、もっとしんどい。そうやって自分に期待してもやはり結果はダメで、また期待して頑張ってもやはりダメで、ということを繰り返すうちに私は「もっとできるはずなのに」という肥大化したプライドと、「どうせ頑張ってもまたダメなんだ」という自分への諦めの両方で自分で痛めつけ続けていた。未来や過去にばかり執着して、今の自分の存在から目を背け続けた。そして、ついには仕事に行くこと自体が苦痛になってしまった。

そしてついには社会からの一時的なドロップアウト=休職をすることになった。今まで小学校から社会人7年目まで、こんなに長く役目から解放され何者でもなかったのははじめてだった。誰かに必要とされることも、期待に応えなくてはいけないこともない。毎日ただ家事をして散歩をして人と話したり本を読んだりしながら過ごした。誰ともキャリアを比較されず、誰を羨ましがることも、誰に蔑ろにされることも、他人の仕事ぶりに一喜一憂することもない。この何者でもない1ヶ月、私ははじめて「ただの私」として人生を生きることができた。そして、それは想像していたよりずっと心地よいものだった。仕事上の肩書きにすがっているころより、ずっと心が楽だった。

ドロップアウトしたことで改めて、自分は多分そこまで優秀な人間じゃないんだと気付かされた。賞も取れないし、すごい結果を残したわけでもないし、出世コースに乗ってるわけでもない。

でも、不思議なことに今の私はそんな自分を素直にいいと思えている。仕事で評価されるより、誰かに褒められるより、自分の生活を適切にコントロールして心地よい生活を送れる方がよっぽど大切だと思えるようになったからだ。

私が今一番したいことは、心地よい生活だ。朝の日差しで目を覚まして、夜は清潔な布団で眠り、3食栄養のあるものを食べ、適度に散歩し、季節の移ろいや陽の光や風を感じることだ。それだけでいい。仕事で何者かになれなくても、誰かに羨ましがられるような存在になれなくても、後世に残るような実績を残さなくても全く構わない。無理して夜中までボロボロになって成果を上げるより、きちんと毎日を愛しながら洗濯物を回していたい。人として無理のない生活がしたい。

この答えが出せて、ずっと長いこと背負い込んでいた鎧をようやく下ろせたような気持ちだ。

もう優秀でいようとしなくていいよ。自分はちゃんとやってるのにって周りにイライラしてなくていいよ。何もかも先回りして解決しようとしなくていいよ。無理な働き方してまで自分の仕事完璧にこなさなくていいよ。ダメなやつだって言われてもいいよ。将来のことは、困ったその時考えればいいし、最低限生活できるお金が稼げたら仕事なんてそれでいい。無理して自分を良く見せようとしなくていいんだよ。

私が今心からやりたい事は、自分のための心地よい生活だ。それを侵食してまでやらなくてはいけない事なんてこの世に一つもない。

たった1ヶ月という短い期間だったが、見栄や競争から解放され何者でもないまま過ごせたからこそ、私は自分の本心にようやく気づくことができた。今までは自分が何をしたいかより、どうすれば他人からよく見られるかばかりを考えていたが、これからはちゃんと自分のやりたい事を優先して生きていけるようになりたい。その結果が社会的に見たらダメなやつだと言われるものだとしても、きっとその方が私は健康でいられるはずだ。

 

短い間でしたが、この日記を読んでくれてありがとう。またどこかで会える事を祈って。おやすみなさい。