休職4日目:今に向き合い続けるということ

10月になった。昨日もうっかり夜更かしをしてしまったせいで8時直前に飛び起きる。ギリギリであっても7時台は7時台だ。恥じることは何もない。2〜3分の違いが、その日最初の達成感の有無を決めるのだからやはりこのルールを導入することには大きな意味があったと感じる。

週末はどこに行っても混んでいるので遠出する気にはならず、開館と同時に近所の図書館へ向かう。日曜日だからかいつもより席が埋まるペースも早く、あっという間に自由席はいっぱいになった。年齢層も幅広く、学生や社会人らしき人、老人まで様々な参考書や書籍を目の前に広げており、何がしかの目的で図書館にきたことがわかる。私と違ってきちんと平日は己の義務を果たしている人たちであろうから、休日にまで勉強しにくるとは誠に殊勝である。

が、私はそんな人たちを眺めながらある一つの共通点に気づいた。それは、多くの人は席に着き目の前に道具を一通り並べると、それに取り掛かる前に一度スマホを眺め出すということだ。何を見てるのかは分からないが、せっせと指を動かして何かを書き込んだり、じっと画面を眺めたり。ちなみに私の隣に座った中年の女性は、看護の参考書に肘をついてスマホで漫画を読んでいた。

別に彼らのこうした行動を論うつもりも、無論馬鹿にするつもりもない。私もこういった行動には心当たりがあるからだ。おそらくだが、彼らはスマホをいじることで、己のエンジンを温めているのだ。目の前に置いてある、(おそらくは)あまり気の進まない課題を前に「今だ!取り掛かるぞ!」と思える瞬間が来るのを待っている。やりたくもないものをやるのだから、少しでも気分良くやりたい……そのために気分の波がピークに来るタイミングを待っているのだ。

私も仕事をしている時、よくこの”やる気溜まり待ち”をしていたので気持ちはよくわかる。だが、残念ながら私の経験によれば、いくらスマホをいじったところで「今だ!」という瞬間が来ることはなかったし、課題をやりたくない気持ちは課題を進めることでしか解決できなかったように思う。結局のところ、手を動かすことでしか面倒臭さを薄めることはできないし、「ここまでやったんだから最後までやってしまおう」という後戻りできなさが1番の力の源になった。ただ、こんなことは言葉であればいくらでも言える理想論でしかなく、結局やりたくないものはやりたくないのである。やりたくないと思っている時点で、自分との戦いにあまり勝ち目はないような気もする。

今日の私がなぜこんな自己啓発的な気分なのかには理由がある。二つの大変参考になる資料に出会うことができたからだ。

一つは、朝出かける前にWIREDのYoutubeで見かけた「Happiness Support」という動画だ。ハーバード大学教授がTwitterからの様々な質問に答えるという動画なのだが、これが非常に興味深かった。

例えば、「睡眠は幸せの秘訣か?」という問いには「睡眠や食事、運動などは幸せを増やすものではなく、不幸を減らすものだ。幸せと不幸せは脳の全く違うところで処理され、ストレスを感じやすい人ほど睡眠などは効果がある」という話をしていた。これはかなり驚いたし、なるほどと思った。体調を崩してからよく眠っているのはおそらくストレスを感じやすいからだし、たくさん寝たところで別に幸せを感じているわけではないのは睡眠と幸福度があまり関係なかったからなのだ。

他にも、「幸せとは一体何なのか?」というぶん投げ質問には「幸せの主要栄養素は、楽しさ 満足感 目的。この3つがあれば幸せになれます」「目的とは『何の為に生きているか?』『何の為なら死ねるか?』という問いの答えだ。これに答えがないと存在意義を見失う」といったことを淡々と教えていた。ちなみに20代後半から50代までは緩やかに幸福度が下がっていくそうだ。50代も過ぎると良い意味で人生に期待しなくなってくるという話もあった。なかなか気の長い話だ。

ただ、この教授が語るのは一貫して「自分の感情をメタ的に認知し、主体性を持て」ということだった。感情に支配され振り回されるのではなく、意志で動くことでしか幸福には繋がらないのだ(と、私は理解した)

さらに、最後に彼は重要なことを語っていた。それは、”今”を生きることの難しさについてだ。私たちは常にうっすらと未来に期待して生きている。旅行に行って写真を撮るのは、あとで、つまり未来の自分がそれを見返すためだ。では、今目の前に広がっている目の前の景色は?意識的に”今”を生きることを意識し続けないと、結果的に人生を逃し続けることになるのだ。

そして、もう一つは『仕事は楽しいかね』というベストセラーになっている自己啓発本を図書館で読んだことだ。私は基本的に自己啓発本の類を胡散臭いものだと思っているので、この本も名前は聞いたことありながらも今まで一度も読む気になったことはなかった。しかし、今日は英語の課題が思ったよりも早く終わったため、少し本でも読むかと図書館の中を少しウロウロしていた時に偶然この本を見つけたのだ。

自己啓発本のことは好きではないが、私はベストセラーという言葉に弱い。「つまらなかったらすぐ戻せば良いのだし」という軽い気持ちで読み始めたところ、これが今の私の状態にドンピシャな一冊だったのだ。

主人公は、出張帰りに天候トラブルで空港に閉じ込められたサラリーマン。仕事は退屈だが守るべき家族や払うべきローンを抱え鬱屈としていた彼は、その空港でとある老人に出会う。老人は実は、数々の著名人と交友がある人物で、彼から仕事及び人生を有意義にするための教訓を教わる……という話だ(こうやって書いてみると、サラリーマン版シンデレラストーリーという感じで面白い。働いたことがある人間ならこういった自分を助けてくれる誰かが現れてフックアップしてくれることを夢見たことは一度や二度ではないはずだ)

この本では様々な教訓が語られるわけであるが、中でも繰り返し伝えられる言葉があった。それは「計画なんて人生の前では無意味だ」ということだ。

最近巷では「人生設計」という言葉を繰り返し耳にする。いつ結婚し、いつ子供を何人生み、どこに住み、老後は何をするか……など。会社でも「将来に向けてどうキャリアを築いていくか」という話も度々話題に上がってくる。今現在から死ぬまでの一本線の上に、イベントを次々と設置し、その目標をいかに効率よく思い通りに達成していくかということが一つステータスとして語られているように思う。

しかし、この本ではそうした「計画」の存在を正面から否定している。計画を立てたところで、そのほとんどは失敗に終わるだろうというのだ。頭にハテナを浮かべる主人公に老人はこう語る。「なぜなら、世の中はその計画が実現するまで悠長に待ってくれるわけではないのだから」と。

そして老人は、主人公が今まで抱いていた理想を叩き割る代わりに、自分が実践していることを教える。それは「今日の自分と明日の自分を全く別人にすること」。もっと具体的に言えば、試すことを恐れず、常に変化し続けることだという。

老人はいくつかの有名な成功例をあげて説明をする。コカコーラを初めて作った薬局の店主、売れ残った帆船の帆からズボンを作ったリーバイス創始者など。彼らが、どのように目の前に現れた課題をチャンスと捉えたか、そして変化を恐れることなく課題解決を試みたかという話をするのだ。彼ら成功した人間が共通して行なっていたことは、未来に対してぼんやりと期待をするのではなく、目の前に提示された課題を解決し、最終的にそれをチャンスに結びつけたことだ。

私たちは日々いくつもの課題にぶつかる。仕事でも、生活でも誰もが面倒ごとに囲まれている。しかし、そうした面倒ごとが生まれてしまったこと自体は問題ではないのだ。その面倒ごとを効果的に解決に繋げられるか、適当にやり過ごして無駄にするかこそが大きな差になるのだ。

そう考えると「人生設計」とは面倒ごとをなるべく生まないように生きるために生み出されたものだろう。「こんなはずじゃなかった」という失敗をなるべく減らして生きるために、みんなガイドラインが欲しいのだ。しかし、そんなものは人生という気まぐれ極まりない相手を前にして、完璧にうまくいくことはほぼないだろう。

それよりも大事なのは、いま、目の前にある課題に向き合い、それをクリアすること。何なら様々なことに積極的に手を出し、試し、経験の総数を増やすこと。そうすることで課題の数は増え、その度にチャンスは増えてくる。10回やって8回失敗だったとしても、母数が増えればチャンスの数はそれに応じて増えていくのだ。

輝かしく完璧な人生計画を立てるのではなく、今の人生を「まあこんなもんだろう」と受け入れること。そして、今この瞬間からたくさんのことを試すこと。目の前を通りがかった課題をチャンスと捉えて飛びつけるように心を開いておくこと。それがこの本における老人の教えだった。

つまり、私が今日この2つのコンテンツに触れたことで学んだことは共通している。それは「未来に期待せず、今この瞬間を生きなさい」ということだ。こうして書いてみると居酒屋のトイレにでも貼ってありそうな陳腐な一文ではあるが、今まで未来の自分がどうにかしてくれるだろうと期待して生きていた私にはこの言葉の意味を知ることが必要だったし、図書館でスマホを見ながら”やる気待ち”をしていた人たちも同様だろう。結局未来とは”今”の積み重ねなのだ。明日の私は何に挑戦しようか。

<今日やったこと>

・英語の課題を3つ進める

・「仕事は楽しいかね?」を読む

TSUTAYAで「白雪姫」のDVDを借りて見る
ちゃんと見たのは初めてだったが面白かった。姫様意外と逞しい。

・昼寝をする

NETFLIX「STREET GANG」を途中まで見る
パペットを作ってみたくなったので、明日布を買いに行くのも良いかもしれない

以上