休職7日目:何も考えなくていいという幸せ

休職してから一週間が経とうとしている。最初の謎の張り切りも段々と解けてきて、いい具合に休めていると思う。働き始めてから今の自分が一番好きかもしれない。働いていた時は毎日必死でイライラしていたし、常にやるべきタスクに追われていて焦燥感が頭から離れず苦しかった。道ゆく人の小さな挙動ひとつにすら腹を立てていた。思い返せば異常である。こうして長期の休みをもらったことで、気持ちも穏やかになっているし、多少のことではイライラしなくなり、本来の私に少しずつ戻れてきているような感覚がある(やはり今の仕事、向いていなかったんだろう)

そう思ったのは、今日の午前中に昨日寝過ごしてできなかった残務処理をしていたことがきっかけだった。ある人に連絡を取るという内容だったのだが、朝から電話がつながるか、この時間でいいか、果たして出てもらえなかったらどうするかなど……「電話をかける」という以前までの私だったら取るに足りないような小さな仕事であるにもかかわらず、不安や緊張が駆け巡り、そのことで頭がいっぱいになり、とても平常心ではいられなくなってしまった。

その後、仕事自体は無事にクリアできたのだが、その仕事をする前と後の気分の差は自分でも驚くほど異なっていた。不安でいっぱいだった頭の中が、やることがなくなった瞬間スッと軽くなり心が穏やかになるのを感じた。もちろん怖い相手でも気まずい相手でもなかったのだが、それでも私にとって「仕事」という2文字がどれだけプレッシャーを与えているのかということを実感せざるを得なかった。よく言えば責任感がある、悪く言えば心配性でやや強迫観念が強い私にとって、仕事のモチベーションになっていたのは常に「相手に迷惑をかけられない」という緊張感だった。(繰り返しいうが現在休職中なので、今日行ったことは全て私が勝手にやったことである。業務ではない)

そんな常に他人がどう思うかを主軸に考えている人間である私にとって今まで救いになっていたのが映画だった。映画館で映画を見ている間は「映画を見る」という行為に集中でき、さらに頭の中も映画の内容に集中できるので余計なことを考えずに済みとても楽なのだ。映画は私に何も求めない。結末も決まっている。映画の中の他者は私の存在に気づかない。映画と私の間には私からの一方的な視線しかない。映画は私に何も求めないのだ(もちろん料金は取られるが)

この「何も考えなくていい幸せ」というのは他になかなか得がたく、今まで長年「映画鑑賞」を趣味としてきたのだが、最近もう一つ「何も考えなくていい幸せ」を得られる趣味に出会った。それが一昨日からハマっている裁縫だ。

パペット作りで余った布地がたくさんあったので、今日はその布地を使って小さなトートバッグを作ることにした。型紙もいらない簡単なものだったが、布を切り出すところは失敗できないため、きっちりサイズを測ったり縫い代を考えたりしている間は頭の中がそれでいっぱいになる。ミシンを持っていないため全て手縫いでやっているのだが、糸を通した針を少しずつ布に通している間も、まっすぐ縫えるかや縫う場所が正しいかなどを考えているとあっという間に時間が過ぎていく。

ただただ手を動かすという作業の繰り返しが、心をどんどん穏やかにしていくのを感じた。映画を見るとどうしても感情が動かされるが、裁縫はまるで凪。どちらも体の力を抜いて大きな水に身を任せるような感覚ではあるが、ウォータースライダーのように刺激たっぷりで楽しい映画と、大きな湖の中にぽっかり浮かぶような裁縫は、それぞれ違う良さがある。今の疲れてヘトヘトの私には、裁縫の穏やかさがちょうどよく染み込むタイミングだったのかもしれない(もちろん映画も大好きだ)

しかし、そんな裁縫にも一つ大きな問題点がある。それは何かを作るとものが増えるということだ。自分で生み出したパペットは愛らしくてとても手放す気にならないし、今日作ったトートバッグもなかなか力作だが初心者の習作なのでとても売りに出せるレベルではない。裁縫は続けてみたいが、今後作ったものたちをどうにかする方法を見つけないと…………恐ろしいので、いったん考えるのはここまでにする。

 

<今日やったこと>

・英語のテキストを3つ進める
図書館に行こうと家を出たら肌寒くて秋を感じた。このままどんどん涼しくなってほしい。

・映画「ミーンストリート」を見た
スコセッシの新作があるのでその予習に古い作品を見ている。面白くなかった

・トートバッグを作る
持ち手もフワフワ生地で作ってしまったのでいささか外出用には頼りない。いったん裁縫道具を入れておくカバンにすることにした。

・「悪魔の計略」を見る
裁縫しつつのながら見。面白い。日本でもやってほしい

・映画「母性」を見た
湊かなえさんの作品エグくて苦手だ。悲しくなる

以上