休職11日目〜14日目:記録を続けること

夫が帰ってきてから話し相手がいるのでつい日記を書くのを忘れてしまった。でも、やはり書き残しておくことに意味があると思うのでザックリと。

休職11日目

知人を訪ねて少し遠出をする。朝からお祭りがあり、知人がそれに参加していたのだ。コロナ禍明けで4年ぶりの通常開催ということで、祭りは大盛況。お忙しいであろう中、挨拶もさせてもらい快く迎えてもらえてとても嬉しかった。仕事でお世話になった方で人気者でたくさん知り合いがいる方なので、私のことなど忘れてしまっていた方思ったが、そんなことはなかった。夫は初対面だったのだが、「俺はこれ(私のこと)嫌いじゃないからよう」とニコニコしてくれて良かった。好きという気持ちに至るにはまだまだ遠い道のりだろう。でもこんな素敵な人たちに「嫌いじゃない」つまり、もう余所者ではないと言っていただけること自体が大切なご縁だと思う。こうしたことがあると過去の自分のしてきた事を一つ肯定できたようで、心が安らぐ。来年もまた来ます、と伝え賑やかな会場を後にした。

ただ、同時に瞬時に"良い子"の仮面をかぶっている自分の存在にも気づいた。来年は、もっとありのままの姿でご挨拶できるようになりたいものだ。

休職12日目

昨日まで遠出をしていたせいもあってか、明らかに疲れが出る。イライラしてしまい夫とうまくコミュニケーションが取れない。些細なことにイライラしてしまい、余計なことばかり口にしてしまう。午後にせっかく映画を見に行ったのに、その後も何となく雰囲気が悪く、お互い黙ったまま歩いた。

このままいても悪いバイブスのままだと思い、一旦二手に分かれて買い物に。私はまた裁縫道具を物色し、布を買った。夜、久しぶりに刺繍をしたがこれがなかなか難しい。衣替え出てた古シャツを布地にしてたのだがこれが良くなかったかもしれない。もっと伸びない生地でやるべきだった。

休職13日目

心療内科の定期検診だった。休職明けのことを考えると気が重く、病院に行くまでも動悸が止まらない。診察でもその内容を伝えたところ「復職するか、退職するまで休みを伸ばすというのもあるがどうしますか?」と聞かれたが、このまま休みを延ばしたら私はおそらく二度と社会には戻れないと思ったので、ひとまず復職を目指すことにした。

医師から「仕事のこと考えなければ楽でいられてますか?」と聞かれた時に、咄嗟にその通りだと思ってしまった。私は仕事が嫌で嫌でたまらないのだ。だから休職明けのことを考えると気持ちが不安定になるし、外に出るのも嫌になってしまう。それなのに復職を目指そうとしている今の状況は何なのだろう。私は何に縛られているのだろう。

帰ってきて、どっと疲れて久々に昼から眠ってしまった。仕事のことを考えるだけでこんなに疲れてしまうのに、本当に以前と同じ環境で働けるんだろうか。

休職14日目

いよいよ折り返しが見えてきた。体力は休職初日に比べると、1日1つしか大技が決められなかったMAX30%くらいの状態から、1日2つくらいまでなら何とかできる60%くらいにまで戻ってきたように感じる。ただ、前のように映画をたくさん見たり、感想をすぐアウトプットしたり、家族(というか夫)以外と会って話したりする気にはあまりなれない。複雑なアクションはまだ苦手なままだ。映画はスケジュールを組まなくてはいけないし、感想は頭を使う。夫以外とは話す時にとても気を使う。

逆にシステマチックな作業や会話は問題なく、今日はパスポートの更新に行ってきた。世界情勢が不安定であることをニュースで聞いているので、万が一の時に備えてパスポートはあったほうがいいだろうと何気なく確認したら、なんと1年近く前に失効していた。慌てて戸籍謄本などをかき集めパスポートセンターで申請をしてきた。

行き帰りは夫と久々にゆっくり散歩もできた。空気が秋めいていて過ごしやすい。ずっとこうならいいのに。

休職10日目:心地よい場所

世は三連休に入ったらしい。街が賑わっている。今日と明日は知り合いを訪ねて、夫と少しだけ遠出をしている。以前仕事で訪ねたのだが、地元の方にとても良くしていただき思い出深い土地だ。

「無理しない」を旅のテーマにしているし、何より自制心が高い夫が一緒なので、私がはしゃいで暴走しHP0というのは今のところ防げている。

以前来た時は車で移動してしまったので素通りだった街中をゆっくり歩いていると、期待以上に素敵な街並みが広がっていて心が満たされる。三連休とはいえ、都心よりも人は少なく、ひんやりと涼しい空気も気持ちがいい。心地いい。この土地が好きだと改めて実感した。

明日は車を借り、夫の運転でさらに奥地へと向かう。懐かしい顔に会うのが楽しみだ。

 

 

休職9日目:何もかも良い感じだっていいじゃん!

夜更かしをしている。今もまだ電車に乗ってこれを書いている。曜日感覚を失っていたが、車内放送で「一部車両に清掃が入っています」というアナウンスがあったことで今日が金曜日だということに気がついた。みなさんお疲れ様です。よく休みましょう。無理になったら私のように休んでもいいと思います。切実に。なぜなら休んでからちょっとずつですが、本当に体調良くなってるから。

毎日出かけられる時間が増えてるし、眠ら続ける時間も減ってきた。今日なんかこんな時間まで出歩くことができた!前までなら無理だった。予定の入ってた飲み会も断ってしまうくらい疲れて眠くてたまらなかったのに、今日は今の時間まで活力に満ちている。昼間に少し資料とかも作れたし、隣町まで散歩もできている。こんなに調子のいい日は今までなかったので、まだ油断ならないが(明日ぶっ倒れるかもしれないので)体調が良いことは本当に素晴らしい。やはり休みは体にいいのだ。そして今まで働きすぎていたのだ。

休職してるとどこかで体調が悪くないとダメと自分を縛っていたが、たまには体調が良い日があってもいいじゃない。明日もこうあればいいのにと今まで祈っている。ずっとこんな感じで明日の自分に前向きに正直に期待できる状態でいたい。秋の涼しさがそうさせてくれているのかもしれない。

休職8日目:もしかしたら脳みそのせい?

先月の暑さとは打って変わって、朝晩はだいぶ秋めいてきたように感じる。窓を開けて寝ていると朝涼しい外気を感じて目覚めるのが心地よく、ずっとこんな気温が続けばいいと思いながら毛布を足で探っている時間に幸せを感じる。

今日は大して何もしない1日だった。朝に1本映画を見て、昼に少し外に出て歩き、最近できたラーメン屋で昼ごはんを済ませた。帰りは近所なのに道を間違えて遠回りし、帰ってからまた映画を1本見て適当に夕飯を作り、風呂を済ませ今に至っている。たまにはこういう気の抜けた日があってもいい。

午前中にTwitterをザッピングしていたら、ある漫画の最新話の試し読みを見つけた。町田粥さんという方の「発達障害なわたしたち」という作品だ。日頃からよく見ているオモコロというチャンネルの恐山さんがゲストになっていたので、読んでみたところとても面白く、そのままkindlleで単行本を購入してしまった。

最近身の回りでもよく聞く「発達障害」をテーマに、様々なゲストや当事者の声を紹介するという作品なのだが、作者の町田さんも編集者の方もどちらもADHDの診断を受けており、作中では主に生活に生きづらさを抱えている彼女たちがゲストとともに”あるある”を共有するという内容になっている。

家が片付かない、予定を先延ばしにしてしまう、一つのことを集中して行うのが苦手、言葉の意味をそのまま受け取ってしまう、不用意な発言をしてしまう、ジッとしていられない……などなど、発達障害としてあげられる特性は個人によって様々だが、どれも今の社会を生きる上であまり良い結果にはつながりにくいため、結果的に会社や学校などで孤立しやすく、鬱やその他の体調不良などの二次障害を発症させやすい。

本作の中では、こうした生きていくのがちょっとしんどい発達障害の人たちが自分たちの”あるある”を明るく語り合い、解決するためのライフハックを共有しあっているのがポジティブでとても励まされる。

というのも、この本で紹介される”あるある”、私もほとんど当てはまっていたからだ。正直誇張抜きで8割くらい当てはまっていたし、彼女たちが実践しているライフハックも私が今まで経験から生み出してきたものと重複するところが多かった。

例えば、用事をギリギリまで先延ばしにしてしまうという点。絶対にやらなければならない業務や、絶対に丁寧に返したいメールなどを後回しにするという癖がある。言い訳をすると、これは「一番いいコンディションでやりたいから」というのが理由なのだが、作中で編集者の方が全く同じ話をされていた。

また、率直に物を言い過ぎて疎まれるというのも、恥ずかしながら私も当てはまる特性だった。これは主に業務においてなのだが、私は自分の成果物に口を出されるのがとても嫌いだ。自分の意図を汲んだ上で良いアドバイスだと思ったらもちろん聞くが、トンチンカンでただ何か言いたいだけの人間がいっちょがみしてくるということがどうしても許せず、ほぼ脊髄反射で即座に言い返してしまう。そして場の空気を悪くし、結果的に人間関係に支障をきたしてきたことが正直一度や二度ではない。

さらに忘れ物をしまくるため絶対に電車の網棚を使わない、常に家の中で物を探している、TODOリストに書き込み続ける(自分の脳を信用していない)、集中できず突然別のことを始めてしまうなどの衝動を抑えられないなど、あげたらキリがない。

今までも発達障害の特性などとして挙げられているチェックリストなどに当てはまることは多かったのだが、特に困難なく大学を出て、やや苦戦したものの無事就職もして、(体調も壊したが)なんとか今まで就労できていたので、発達障害ではなく「ただのズボラな一般人」だと思っていたのだ。

今まで、なぜ自分は発達障害ではないと確信していたかというと、TODOリストに書いたことは必ず遂行したり、メールなどの通達物を溜めたりしないという妙にマメな部分があるという点だった。強迫観念が強く、完璧主義なところもあるので、スマホの赤丸が溜まっているのが許せない。仕事で抜け漏れを出すのが異常に怖いので、常に前倒し前倒しで仕事してきた。

つまり私の中では「発達障害=ズボラで問題を起こし(締め切りを守れないなど)社会から浮いている人」というイメージになっていたのだ。私は締め切りを守れるから大丈夫。学生時代から今まで社会からもギリ浮いていない。そう考えていた。

しかし、この本の中で一つ大きな発見があった。それは編集者・K成さんが、私とそっくりな特性をお持ちだったのだ。彼女は人気連載をバンバンだし、人気作家と次々仕事をする売れっ子編集者だ。編集者という仕事柄、もちろん締め切りなども守っていらっしゃるでしょう。そんな彼女もADHDだというので驚いてしまったのだ。

K成さんは、ご自身も仰っているように完璧主義者で、学校での成績も良かったそう。それでも社内の手続き(おそらく遅れてもあまり怒られないor自分が損するだけで済む)に遅れたり、家の中で物を無くしたり、発送作業などのタスクが苦手だったり、スケジュールを立てるのが苦手だそう。私とそっくりだった。

また、作中では発達障害の診断の際に子供の頃の通知表などを見せるという工程があるそうなのだが、私は子供の頃異常に落ち着きがなく、異常に片付けができず、プリントなどを親に見せるのも遅刻常習犯だった。ちなみにこれは小学校6年間直ることがなかった。小3の頃についに算数で「がんばりましょう」を取ったことに危機感を持った親に学習塾にぶち込まれたことで勉強で取り残されることはなかったのだが、小3まではとにかくボーッとしており物心がついていないような状態だったように思う。急に覚醒したのだ。

ちなみにこの覚醒期は大学受験直前の16歳ごろや、就職直後の22歳くらいにも経験している。それまで漫然と生きていたのに、急に人生のスイッチが入るような感覚だ。作中で町田さんやゲストで作家のカメントツさんがあげていたものに近い気がする。

完璧主義者で普通に仕事しているADHDもいるのか……その場合、私ももしかしたら……?

この休職期間に服用している薬のおかげで不安や緊迫感が消え状況が好転したことをきっかけに、今までの生きづらさがもしかして自分の体や脳みそサイドの問題だったのかもと思い始めたので、自称「ただズボラな一般人」も一度きちんと検査を受けた方がいいのかもしれない。ただ、診療に必要だという子供の頃の通信簿などを実家に取りにいくのがすでに面倒くさい。道のりは長い……

 

<今日やったこと>

・映画「殺さない彼と死なない彼女」を見た
原作の4コマは知っていたがそう来たか。オチにびっくり

・ラーメンを食べた

TSUTAYAでDVDを返し、借りた

・映画「ウルフオブウォールストリート」を見た

以上

休職7日目:何も考えなくていいという幸せ

休職してから一週間が経とうとしている。最初の謎の張り切りも段々と解けてきて、いい具合に休めていると思う。働き始めてから今の自分が一番好きかもしれない。働いていた時は毎日必死でイライラしていたし、常にやるべきタスクに追われていて焦燥感が頭から離れず苦しかった。道ゆく人の小さな挙動ひとつにすら腹を立てていた。思い返せば異常である。こうして長期の休みをもらったことで、気持ちも穏やかになっているし、多少のことではイライラしなくなり、本来の私に少しずつ戻れてきているような感覚がある(やはり今の仕事、向いていなかったんだろう)

そう思ったのは、今日の午前中に昨日寝過ごしてできなかった残務処理をしていたことがきっかけだった。ある人に連絡を取るという内容だったのだが、朝から電話がつながるか、この時間でいいか、果たして出てもらえなかったらどうするかなど……「電話をかける」という以前までの私だったら取るに足りないような小さな仕事であるにもかかわらず、不安や緊張が駆け巡り、そのことで頭がいっぱいになり、とても平常心ではいられなくなってしまった。

その後、仕事自体は無事にクリアできたのだが、その仕事をする前と後の気分の差は自分でも驚くほど異なっていた。不安でいっぱいだった頭の中が、やることがなくなった瞬間スッと軽くなり心が穏やかになるのを感じた。もちろん怖い相手でも気まずい相手でもなかったのだが、それでも私にとって「仕事」という2文字がどれだけプレッシャーを与えているのかということを実感せざるを得なかった。よく言えば責任感がある、悪く言えば心配性でやや強迫観念が強い私にとって、仕事のモチベーションになっていたのは常に「相手に迷惑をかけられない」という緊張感だった。(繰り返しいうが現在休職中なので、今日行ったことは全て私が勝手にやったことである。業務ではない)

そんな常に他人がどう思うかを主軸に考えている人間である私にとって今まで救いになっていたのが映画だった。映画館で映画を見ている間は「映画を見る」という行為に集中でき、さらに頭の中も映画の内容に集中できるので余計なことを考えずに済みとても楽なのだ。映画は私に何も求めない。結末も決まっている。映画の中の他者は私の存在に気づかない。映画と私の間には私からの一方的な視線しかない。映画は私に何も求めないのだ(もちろん料金は取られるが)

この「何も考えなくていい幸せ」というのは他になかなか得がたく、今まで長年「映画鑑賞」を趣味としてきたのだが、最近もう一つ「何も考えなくていい幸せ」を得られる趣味に出会った。それが一昨日からハマっている裁縫だ。

パペット作りで余った布地がたくさんあったので、今日はその布地を使って小さなトートバッグを作ることにした。型紙もいらない簡単なものだったが、布を切り出すところは失敗できないため、きっちりサイズを測ったり縫い代を考えたりしている間は頭の中がそれでいっぱいになる。ミシンを持っていないため全て手縫いでやっているのだが、糸を通した針を少しずつ布に通している間も、まっすぐ縫えるかや縫う場所が正しいかなどを考えているとあっという間に時間が過ぎていく。

ただただ手を動かすという作業の繰り返しが、心をどんどん穏やかにしていくのを感じた。映画を見るとどうしても感情が動かされるが、裁縫はまるで凪。どちらも体の力を抜いて大きな水に身を任せるような感覚ではあるが、ウォータースライダーのように刺激たっぷりで楽しい映画と、大きな湖の中にぽっかり浮かぶような裁縫は、それぞれ違う良さがある。今の疲れてヘトヘトの私には、裁縫の穏やかさがちょうどよく染み込むタイミングだったのかもしれない(もちろん映画も大好きだ)

しかし、そんな裁縫にも一つ大きな問題点がある。それは何かを作るとものが増えるということだ。自分で生み出したパペットは愛らしくてとても手放す気にならないし、今日作ったトートバッグもなかなか力作だが初心者の習作なのでとても売りに出せるレベルではない。裁縫は続けてみたいが、今後作ったものたちをどうにかする方法を見つけないと…………恐ろしいので、いったん考えるのはここまでにする。

 

<今日やったこと>

・英語のテキストを3つ進める
図書館に行こうと家を出たら肌寒くて秋を感じた。このままどんどん涼しくなってほしい。

・映画「ミーンストリート」を見た
スコセッシの新作があるのでその予習に古い作品を見ている。面白くなかった

・トートバッグを作る
持ち手もフワフワ生地で作ってしまったのでいささか外出用には頼りない。いったん裁縫道具を入れておくカバンにすることにした。

・「悪魔の計略」を見る
裁縫しつつのながら見。面白い。日本でもやってほしい

・映画「母性」を見た
湊かなえさんの作品エグくて苦手だ。悲しくなる

以上

休職6日目:何やってもダメな日はある

スマホを変えてから「集中モード」なるものに勝手に切り替わっていることがあり、そのせいで何度か通知が止まっていたことがわかった。恐ろしい。

通知が切れている間に来ていた仕事の残務を少しだけ対応する中で、会社に届け物をする流れになってしまった。規定的に一切の労働がダメなので、あくまでプライベートとして立ち寄っただけである(ということにしておく)

私の会社は都内でもかなりガヤガヤした街の中にある。しばらく家から5km圏内で静かに暮らしていたので、久々に立ち寄った会社周りの環境にたじろぐ。入社してからだいぶ経つが、相変わらずこの街が苦手だ。なんなら就活中から「この街だけでは働くまい」と思っていたのに、なんでかここで過ごす羽目になってしまったのだから変な話である。汚い道、嫌なにおい、人の笑い声、人口に対して狭い街の作り。小さな嫌さの積み重なりに、歩いているだけで体力を奪われていくのを感じる。

届け先の相手も忙しいためお互い時間を探り探りしていたのだが、またしてもスマホが集中モードになっていたせいで、気づいた時には着信が7件入っていた。これは、怒っている(気がする)。急いで届けて、一言二言会話して逃げるように立ち去った。色々と申し訳ないとは思ったが、もう詫びたり言い訳したりする体力もなかった。

そんなストレスフルなイベントがあったため、いつも朝だけ服用している”不安を和らげる”という薬を昼にも1錠追加してしまったせいか、帰宅するととんでもない眠気に襲われ、そのままソファで眠りこけてしまった。

起きたら夕方だった。実は夕方にもう一つやらねばならない残務があったのだが、30分で鳴るはずだったタイマーがオフになっており、起きた時にはすでにタイムオーバーだった。休職中の人間に働かせないでほしいとは重々思うが、こればかりは信頼関係を私しか築いていなかった属人的な相手への連絡になるため私がやらざるを得ない。反省する。ギリギリ明日リカバリーできるかもしれないので、何とかするしかない(何度も繰り返してくどいとは思うが、私は休職中である。あくまでプライベートでの作業と言うことになる)

という感じで今日はいいことなしであった。まあ、6日もやってきたのだから1日くらいダメな日がないと不自然だ。そうでも思わないとやってられない。

<今日やったこと>

・「燃え上がる女性記者たち」を見た
待ち合わせの時間調整で見た。ジャーナリストとして奮闘する彼女たちは偉大だ。そしてそれを遠い日本の地で見ている私は無能だ。

・「推し、燃ゆ」を読んだ
これも移動時間と待ち時間で読んだ。推しに関する話かと思っていたら、推しの話を入り口とした今の世の中に生きづらさを感じている人間の話だったので食い入るように読んだ。分かるよ。生きがいという人生の背骨を他者に預けることの危うさを感じる。

・タコベルの店舗を見つけた
潰れたと思っていたタコベルが別の場所で復活していた。タコベルは美味い

以上

休職5日目:分からない分からない楽しい

PCの電源が切れていたので急遽スマホで書く。月曜日になった。会社に行かなくていいというだけでこんなにも心が軽い。生活は好きだ。生活が守れないような仕事はやはりするべきではない。

今日の私にはひとつやりたいと考えていたことがあった。それはパペット作りだ。それも口がパクパクするタイプのもの。

きっかけは昨晩見ていたセサミストリートの誕生秘話を描いたドキュメンタリー「STREET GANG」を見たことだ。NYハーレムの街並みを模したセット。そこに人間と一緒に暮らしている個性豊かなパペットたち。小さい頃から見ていた番組なのでその裏側を見られるのはとても面白かった。

中でも印象に残ったのが、オスカーの操演をしていたジムという人物についてだった。日頃寡黙で穏やかな人物だったジムだが、関係者たちは「彼はオスカーになっていたときだけ本音で喋っていた」と語っていた。人形という人格を借りているからこそ語れることがきっとあったのだろう。

私はこれが羨ましいと思った。以前から、人間としての肉体以外を獲得することに関しては興味があったのだが(いわゆるバ美肉というやつだ)美少女には興味がないし、一度試してみたadobeのソフトは単体プランがなく高額すぎたので断念してしまった。

しかし、パペットならどうだろう?適度にかわいらしく個性的で、しかも撮影して映像にしたところで編集もそこまでしんどくはない。さらに私自身としてではなく、このパペットにキャラクターを与えてしゃべらせることもできる。考えるだけでとても楽しそうに思えた。

ということで、私は早速外に繰り出した。裁縫など久しくやっていないので、何から何まで一式揃える必要があった。

まずは、パペットに関する本を借り、コンビニプリントを利用して型紙を入手した。そこから隣町にある大きな洋裁店へと向かう。電車の中で調べたところ今時は百均でおおかたの裁縫道具が揃うようだ。経験者たちも「針、糸、ハサミ」の3つがあればだいたい作れる言っている記事も見つけた。最小限から始めるのが良さそうということで、道すがら百均で針、糸をはじめ必要そうな道具を購入。つい最近学生時代の裁縫セットを捨てたらしきことが悔やまれる。

洋裁店には夥しい数の布地が待っていた。個人的な希望はなるべく柔らかくタオルのような生地だったのだが、なかなか見つからない。その代わりに、秋冬に向けてセールになっていたフワフワの生地を見つける。触ってみると悪くない。裏地や目玉なども見つける。

布を買う時に一番重要なのは、一体どれくらいの分量が必要なのかもいうことだ。改めて型紙を取り出してみると、これが意外とちんぷんかんぷんだった。A4の中に明らかに何本かの線が重なって書かれている。さらには謎の文字「わ」や、謎の星マーク、ダートという聞きなれない言葉もある。調べてみると「わ」というのは、この位置を中央にして倍量布がいるらしい。危ない。初心者にとって優しくなさすぎる。ひとまず失敗することも考慮し、多めに布を買っておくことにした。

大量の荷物を抱えて家に帰り、さっそく作業に取り掛かる。型紙に合わせて布をザクザク切り出し、ちまちまと手縫で合わせていく。学生時代の家庭科はエプロンだのカバンだの作らされてあまり好きではなかったのだが、自分が本気で欲しいかわいいパペットを作るのは楽しい。小さな手ができるだけで感動する。

おそらく今回参考にした本はあまり初心者向けではなかったようでなかなか難しく、何度も糸をほどき直し縫い直し……を繰り返すこと3〜4時間。私だけのフワフワのパペットが誕生した。

綿を詰めすぎたか、口部分の裏地に接着柱?をちゃんとつけなかったのが原因か、なかなか操作がしづらいが、そんなことは置いておいてとにかくかわいい。そして何より自分がこんなしっかりした手芸を作れるとは思わなかったので、その点でも達成感があった。

時間も気にせず作業に没頭していたくらいなので、私は何かをこうして作ることが好きなのかもしれない。ところとごろ糸の縫い目が見えるパペットをパクパクさせながらそんなことを考えていた。

<今日やったこと>

・パペットを使った

・薬の処方箋をもらった……処方箋って4日過ぎると無効になるなんて知らなかった。無駄な診療代を払ってしまった